金融リテラシー研究所

金融広告30年史 第30回(最終回)

金融商品取引法で変わる金融広告

 2007年10月1日、日本郵政公社の民営化にともない誕生した「ゆうちょ銀行」の店頭で、金融広告の観点から見逃せない変化があった。販売用資料と呼ばれる投資信託の資料がいっせいに改訂され、差し替えられていたのだった。

 販売用資料とは、ファンドの仕組みや特徴、投資対象の魅力などを図表やイラストなどを用いて説明した資料で、A4サイズ・6ページ前後の体裁が多かったが、新しい資料は2ページ程度増えていた。それまで裏表紙に掲載されていたリスクや費用に関する記述を切り出し、大きく表示する必要があったためだ。

 これらの改訂を促したのは、前日の9月30日に施行された「金融商品取引法(金商法)」だった。投資家保護を目的に、金融商品の広告やパンフレットの内容に厳しい規制がかけられた。預金や投資信託などの利点だけを強調することを禁止し、商品の特性と遜色のないスペースをとって、どんなリスクがあるのかを載せなければならなくなった。結果として、金融広告のクリエイティブの余地は非常に狭まっていった。

 事実、08年の新聞広告の落ち込みは著しい。MRS広告調査によると、「証券投資信託」の広告段数は、04年から05年にかけて倍増し、06年は前年比77%増、07年は同18%増だったが、08年は同58%マイナスとなった(図表参照)。大きな要因として金商法があったことは間違いないが、もう一つ、仮説として考えられるのが、日経金融新聞の休刊(08年1月)である。

 読者の大半が金融機関関係者だった日経金融新聞は、金融機関向けのBtoBメディアとしての役割を担っていた。個人投資家と接点をもたない投資信託会社が、金融専門紙である日経金融新聞に商品広告を出稿することは、すなわち証券会社や銀行の販売員に対し、販売支援を行うことを意味した。

 一般紙ではまず見かけない、外資系金融機関の広告が多く見られたのも日経金融新聞の大きな特徴だった。顧客である機関投資家に対して、認知度やイメージの向上を目的に企業広告を出稿し、クリエイティブを競った。

 金融ビッグバンの本格スタートにより、主に投資信託を中心として花開いた金融広告は、10年後、金商法とサブプライム危機の影響を受け、いったん萎れたかにみえる。08年のリーマン・ショックは金融市場の混乱と株価の低迷に拍車をかけ、多くの金融マーケティング担当者を思考停止に追い込んだ。しかしながら、現在の危機的状況を乗り越えない限り、金融広告、金融マーケティングの新しい花は咲かない、そんな気がしてならない。

 00年3月、個人金融資産に占める投資信託の比率は2.2%だった。ビッグバンから10年以上を経た09年3月の同比率は3.3%。わずか1ポイントしか上昇していない。証券市場にリスクマネーを呼び込む受け皿として期待された投資信託が、一般消費財になるのは当面、先の話で、それまでに金融広告、金融マーケティングが果たすべき役割はまだまだ大きいといえそうだ。

まとめ・構成 堀田栄治

「証券投資信託」の新聞広告の出稿量と前年比増減率(出所=MRS広告調査)

投資家保護をうたったはずの金商法によって、投資家にストレスを与える不親切な金融広告が増えた感は否めない。新聞紙上から投資信託の広告はしだいに見られなくなった。

「金融広告30年史」は、『日経広告研究所報』に3回シリーズで連載した論文の内容(2009年発行の246~248号)を再構成したものです。
日経広告研究所報「我が国における金融広告の三十年(上)」
日経広告研究所報「我が国における金融広告の三十年(中)」
日経広告研究所報「我が国における金融広告の三十年(下)」