日経の開発部では徒弟制で鍛えられました。取材の仕方や原稿の書き方をいっさい教えられず、取材に行かされました。最初の原稿を提出したあと、中根デスク(風雲20年史番外編1に登場)に「こんな下手くそな原稿は見たこともない」と切り捨てられました。
ところが半年後、日経流通新聞で当時流行し始めていたカラオケの広告企画を担当しました。夜遅くまでスナックやバーで取材をして書いた原稿は、デスクの赤字がたくさん入ったものの、掲載後に「流通新聞の編集長も面白がっていたよ」と褒めてくれました。
日経の開発部には6年ほどいました。仕事量はきわめて多く、毎月10本以上担当していました。中根デスクが「おれたち100円ライター」と自嘲するほど、たくさんの原稿を書いていたのです。
当時は、それが厭で厭でたまりませんでした。企業のニュースリリースやパブリシティ、パンフレットなどをもとに、広告企画の原稿を書いていきます。抱えている本数が多いので、まともな取材ができず、良い原稿が書けません。
配属されてから1年間黙って働いた私は、1年後にいきなり、部会に仕事の改善案を出しました。外注を増やして、部員は取材原稿に特化すべきだ、と。部内で話し合いがもたれ、仕事は少し改善されましたが、私をかばった中根デスクは支局に飛ばされました。
エディトを創業してから気づきました。開発部の、あの数多くの「実戦」で鍛えられたことに。人間は渦中にいると、恵まれていることに気づかないのです。日経の名刺があれば、どんな企業の社長も会ってくれます。
日経を辞めたとき名刺を整理したら、約1000枚ありました。書いた原稿は数百本に及ぶでしょう。エディトで原稿が書けるのも、デスクワークができるのも、みんな開発部と鍛えてくれた中根デスクのおかげです。
それで創業してから20年も食べてくることができました。ひるがえって、エディトの社員たちからすると、クライアントの皆様から仕事をいただいているおかげで、実戦で取材・編集の力が鍛えられているのです。
クライアントの皆様には、心から御礼を言いたいと思います。
エディト代表取締役 岡田正樹